【はじめに】

 私は、2007年、「ガイアの夜明け」、「フジスーパーニュース」に、化学物質過敏症患者
 として出ました。


 発症の原因は、05年の近隣の二度に渡るリフォームです。
 6月のリフォーム最中に、私は倒れました。立ち上がることもできず吐き続けました。
 生命の危機に及ぶほどの呼吸困難になり、新潟の空き家に逃げ込み、助かりました。
 
 8月の外壁塗装で、家族全員重症化しました。
 医師からは、「すぐに引越しなさい!」と言われ、2年間で借家を16軒も借りました。
 東大の環境学の先生から、「寒くて化学物質が揮発しない11月だというのに、基準値
 の3倍ものベンゼン
が部屋に入ってきている。ここにいると、白血病やガンになるから
 逃げなさい!
」と言われました。1級建築士からは、「10年間逃げないと危険です!」
 
と言われました。

 必死で、病身にむち打って、家を探し続けました。家探しのために、娘は成人式に出る
 ことも、晴れ着を着ることもありませんでした。
娘は、不正出血する体で、必死に家を探
 し続けました。

 けれども、発症原因となったビニールクロス、フローリングの使われていない借家はなく、
 借りても3日と住めず、転々としました。家を1軒求めようとしましたが、野焼き、宅地にま
 く除草剤
に反応し、手付け金をダメにして、購入をあきらめました。

 07年に、東京の多摩センターに団地を買いましたが、階下の柔軟剤に反応し、リフォーム
 したのに1日も住まずに手放しました。

 今年の6月2日で4年になります。まだ家はなく、車で寝泊りしています。車の中の化学物
 質(有機リン)にも反応し、目が見えにくくなってしまいました。


 ちなみに、我が家だけでなく、問題の家の風下のIさんも発症してしまいました。
 「体が痛い。骨の髄まで痛い。イタイイタイ病・水俣病とおんなじだね。指は曲がる、目
  はどんどん見えなくなるし、歩けないんだよ。
あんた達、こんな苦しい思い、3年もや
  ってたんだね。なった者じゃないとわかんないよね。
」と、涙ながらに何度も言っています。
 
 それから、「リフォームされる前に戻りたい…」「先生は引越ししなさいと言うけど、この体で
 どうやって家探しすればいいの」となげいております。
 
 1日100の病気をしているような症状で苦しみます。 「この苦しみは、もう二度とど
 なたにも味わってほしくない」という思いで、惨めでむごいCS患者の我々の日常生
 活を、全国ネットでさらけ出しました。


 発症前は、娘は、健康診断オールA、主人も風邪一つ引かない頑健な体でした。私たち一
 家は、臓器や免疫のはたらきに、全く異常のない健康体だったのに、おそろしい有害な化
 学物質を浴びて、ひとたまりもありませんでした。

 この病気は、体の弱い人、アレルギー体質の人がなるのではありません。健康な人でも、
 化学物質を大量に浴びると、誰でも発症します。地下鉄サリン事件を思いだして下さい。
 くの人は死に、遠くの人は助かりました。この事件と同様に、化学物質を浴びれば、誰で
 も発症する病気なのです。


 私は、大学で化学を4年間学びましたので、化学物質のおそろしさは、知っていました。
 今は亡き恩師・山本出先生(NHK教育テレビ「減農薬への道」の司会者)が、「化学物質
 は万能ではない。化学物質が万能だとは、ゆめゆめ思って下さるな。化学物質が登場した
 のは、つい最近のことなんだよ。」
とおっしゃっておられました。
 
 この言葉の意味を、今、身をもって感じております。
 だからこそ、私は、「第2の水俣病」とおそれられているこの病気が、全国の若者に蔓延す
 ることをおそれております。
 現に、美容学校の子が、ただならぬ皮膚障害で退学し、引きこもっています。
 医学生が、ホルマリンづけの死体解剖中に、倒れてしまい、医者への道を絶たれま
 した。
これは、希望の職業につけないだけではなく、社会に出られなくなるということです。
 寝たきりの女子高生がいます。治療法もなく、100もの症状に苦しみ、自殺する若者
 が、あとを絶ちません。
国をささえる若者が病めば、この国は亡国となってしまいます。
 
 警鐘をならしたく思い、もとより力のない一主婦が、このホームページを立ち上げました。
 皆様どうぞご覧下さい。

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